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徳川家康の裏の生命線は江戸時代のくらしの水だった。 [日本の習慣]

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江戸という場所は湿地帯が多く、海水の影響で井戸水も飲めない
土地だったのです。
ところが人口は増える一方だったのです。
家康は、水道橋・神田上水・池・お茶の水・玉川上水
と東京には水関連の地名が大変多いのです。
この辺に家康の水事業に対する思いを感じる方もいらっ
しゃるのではないだろうか。


東京では有名な玉川浄水等、郊外から水を引くことが
家康の江戸構築が最大のテーマだったのです。



◆御茶ノ水の由来

江戸という場所は湿地帯が多く、海水の影響で井戸水
も飲めない土地だったのです。



「お茶の水」と「御茶ノ水」の名前の由来は、
どちらも江戸の始まりの頃に、外堀を掘るた
めの神田山切り崩し中、高林寺の境内から水
が湧き出し、その水を徳川家康のお茶をたて
る水として献上したことが、そのままの字の如
く地名の由来とされています。




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◆家康の水道事業


徳川家康が江戸幕府を開いたときから、人口は
膨張している。
関東ローム層だから、井戸を掘っても、さして
水は出てこない。そこで、神田上水や、玉川上
水がつくられたのです。


玉川上水は、奥多摩・羽村の堰(せき・堤防)から
延々と水を引いてくる。

基本的な考えは、現在の水道管と同様に、木樋(も
くひ)や石樋を地下に埋め込み、上水を引いている
のだ。


天正18(1590)年、徳川家康は江戸入府に
先だち、家臣大久保藤五郎に水道の見立てを命じました。
藤五郎は小石川(※現在の東京都文京区小石川)に水源
を求め、神田方面に通水する「小石川上水」を作り上げ
られたと伝えられています。


江戸の発展に応じて、井の頭池や善福寺池・妙正寺
池等の湧水を水源とする「神田上水」が完成したのは
寛永6(1629)年頃とされています。一方、江戸
の南西部は赤坂溜池を水源として利用していました。



慶長14(1609)年頃の江戸の人口は約15万人
(スペイン人ドン・ロドリゴの見聞録による)でし
たが、3代将軍家光のとき参勤交代の制度が確立す
ると、大名やその家族、家臣が江戸に住むようになり、
人口増加に拍車がかかりました。もはや既存の上水
だけでは足りなくなり、新しい水道の開発が迫られ
るようになったのです。



◆玉川上水の構築


承応元(1652)年、幕府は多摩川の水を江戸
に引き入れる壮大な計画を立てました。設計書の
検討及び実地調査の結果、工事請負人を庄右衛門、
清右衛門兄弟に決定し、工事の総奉行に老中松平
伊豆守信綱、水道奉行に伊奈半十郎忠治が命ぜら
れました。


工事は、承応2(1653)年4月4日に着工し、
わずか8か月後の11月15日(この年は閏年で
6月が2度あるため8か月となります。)、羽村
取水口から四谷大木戸までの素掘り(崩れの補強
を行わずに掘削すること)による水路が完成しま
した。


帯茶の水の上流に水道に関する家康の秘策が秘められて
いたのです。
何事もこの奥を見抜ける力を持つ人が 勝利するのです。




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kage
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