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山口組・田岡一雄組長は伝説の『任侠』の人? [日本の習慣]



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昔の日本、治安や検挙率が高かったのは『親分達』『任侠』のお陰なのです。


昔は各市町村に『親分』と称する人々がおり、『テキ屋』や『建設業』と言う看板を掲げてその市町村の治安を守ってくれていたのです。


今日でも港・建設・芸能界・政治家を牛耳っているのは『やくざ』『暴力団』なのです。


マスコミは知っているくせにこの実態には触れようとしないが・・・そんなきれいごとだけの世界では無いということに加え、暴力団と称する親分達が社会治安のバランスをとっている面も大変多い日本社会なのです。・・・確かに人相悪い方も多いが・・・。



山口組本家は日本政府と同様ロックフェラー系CIAの傘下にある?
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2017-05-04-2





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◆神戸の大震災で最初に物資を庶民に提供したのは山口組



まさに任侠でした・・・物流の寸断した阪神・淡路大震災時に山口組傘下の全国の親分達から海上の船を使って神戸まで物資を運び・・・それを山口組の皆さんが誰よりも早く不足していた水や食料の配給を行なったのです。


この活動は阪神・淡路のみならず、熊本地震の際にも神戸山口組は『いち早く炊き出し』を行なったそうです。国家より早く・・・。



炊き出し.jpg



炊き出し-2.jpg


この辺の男気は、山口組三代目・田岡組長の時代に息づいたものと思いますが、悪い面だけを声高に騒ぎたてるマスコミって・・・?




◆山口組・田岡組長と美空ひばり(SAPIO様)


話は飛びますが、暴力団と北島三郎をはじめとした芸能人との関係で業界全体がビビッテいた時、田岡組長の葬儀に堂々と出席したのが美空ひばり・・・『世話になったおじちゃんの葬式に出て何が悪い』と美空ひばりは芸能記者を一蹴したのです。


NEWS ポストセブン様が記事をあげていたので転載させて頂きます。


「お嬢」「おじさん」と呼び合った山口組組長と美空ひばり


戦後日本を代表する歌手、女優として、今や伝説となった美空ひばり。ひばりは1937年生まれだが、9歳からプロ歌手として活動。「天才少女歌手」と呼ばれ、戦後の焼け跡の中で日本人を励まし続けた。


そんなひばりの“出発点”に、これまた戦後日本を代表するヤクザが関係していたことを知る人は、現在どれほどいるだろうか。そのヤクザとはほかでもない、三代目山口組組長・田岡一雄氏であった。


1948年12月、この山口組興行部が影響力を持つ神戸松竹劇場へ出演するため、横浜国際劇場支配人の福島通人に連れられて、母・加藤喜美枝と神戸の田岡邸へ挨拶に訪れたのが、ひばりと田岡の出会いだったとされる。


ひばりは当時11歳。しかし田岡に対してまったく物怖じせず挨拶するその姿に、田岡は尋常ならざるオーラと、無限の可能性を感じ取る。


「ひばりちゃん、このおじちゃんに歌ってくれるか」
「はい。でもおじちゃん、どんな歌を聴きたいですか」


ひばりはどこまでも屈託なく田岡に応じ、藤山一郎が戦前に歌って大ヒットした『影を慕いて』を見事な歌唱力で歌った。ひばりの才能に感服した田岡は、「彼女を生涯にわたって守ってやろう」と固く誓う。そして自身が率いる山口組興行部、1957年に「神戸芸能社」と改名するその“芸能プロダクション”に、ひばりを誘う。



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神戸芸能社にはひばりのほか、田端義夫や高田浩吉、川田晴久など、戦後の大スターらが多数所属。しかし田岡とひばりの絆は他に類を見ないほど固く、2人の関係は“連合軍”と称されるほどだった。


田岡はひばりを「お嬢」と呼び、ひばりは田岡を「おじさん」と呼んだ。少なくとも田岡の呼称は、ヤクザならば「三代目」、所属芸能人ならば「社長」というものが普通で、ひばりの使った「おじさん」は、ほかには絶対に許されないものだった。


田岡が最初、ひばりに赤い靴をプレゼントしたのは有名だが、ひばりは「これ、おじさんにもらったの」とうれしそうに周囲に見せた。


また、田岡はひばりの興行に頻繁に同行。ひばりが歌う舞台のソデで彼女を見守りながら、歌のリズムに合わせてステップを踏んでいたという。


1962年、ひばりが小林旭と結婚した際には、田岡が式に父親役として出席。そのわずか1年7か月後に離婚した時には、田岡自ら記者会見で解説役を務め、「理解離婚」という当時の流行語を生むきっかけまでつくった。


私生活のサポートだけではない。たとえばひばりの母・喜美枝は何かと娘の芸能活動に介入するステージ・ママだったのだが、田岡はその貫禄と器量で喜美枝と見事な良好関係を築いていた。


田岡がいなければ、昭和の歌姫・美空ひばりは生まれなかったのでは、とする意見すらある。


神戸芸能社は田岡が社長を務める、間違いのない“企業舎弟”だったが、一般社員は全員“カタギ”。


また極めて明朗かつ近代的な経営が行われており、不可解な伝統や因習が支配する芸能界を改善した功績も大だったと言われている。



しかし1960年代後半から本格化した警察の暴力団取締作戦「頂上作戦」の中で、神戸芸能社は活動停止に追い込まれる。



神戸芸能社の躍進は、同時に展開した山口組の全国制覇に結果としてリンクし、その影響力拡大に貢献した事実も確かにある。



だが、ひばりという大スターの出発点に、また日本の芸能界のある基礎部に、田岡というヤクザが貢献していたのも、また事実なのだ。今ではもう二度とありえない、歴史の一幕である。





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昔は芸能人もバックのやくざも仁義を大切に生きていたことが良くわかりますね?


田岡親分もひばりの仁義というか態度に『うれしかった』でしょうね。
昔の親分には格式と品位が備わっていたものですが・・・任侠の世界も・・・変わってきつつあるみたいですね。



今、一般人への悪さをしているのは、チンピン達であり、任侠の親分達では無い区別をするべきだと思いますが・・・昔は、清水次郎長なんて言う正義の味方もいたのです。



【山口組・・・新潮に激白】
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2015-10-07-3

弘道会 分裂 崩壊の序章 清原と弘道会
https://www.youtube.com/watch?v=FVrifbbWiB0

山口組分裂の全真相~井上邦雄はなぜ今打って出たのか!?~
https://www.youtube.com/watch?v=23cHt3Snr3U



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