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ドイツ人・ベルリンのテロ発生は十字軍への怨念? フランク人のフランスの次はロシア? [国際情勢]



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ドイツの首都ベルリンにあるクリスマスの買い物客でにぎわう屋外の市場・・・やはり『ソフトターゲット』が狙われた事件ですが、これ即ち、『無差別殺人テロ』とも言えるわけです。



ヒトラー第四帝国であるユーロの盟主ドイツを次々に襲う事故はユダヤの威嚇?
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2016-02-10-1



◆ドイツ・ベルリンのテロ


ソフトターゲットを狙われたドイツの首都ベルリンにあるクリスマスの買い物客でにぎわう屋外の市場に、大型トラックが突っ込み、これまでに12人が死亡、48人がけがをして病院で手当てを受けていて、デメジエール内相はテロ事件の可能性が高いという見方を示し、警察が背景を捜査しています。



ベルリンの中心部にあるクリスマスの飾りなどを売っている屋外の仮設市場に、19日午後8時ごろ、日本時間の20日朝4時ごろ、大型トラックが突っ込みました。当時、市場は大勢のクリスマスの買い物客で混雑していて、警察によりますと、これまでに12人が死亡し、48人がけがをして病院で手当てを受けています。


デメジエール内相は、19日、地元のメディアに対し、「多くの状況がテロ事件であることを示している」と述べ、テロ事件の可能性が高いという見方を示しました。


警察によりますと、トラックには2人が乗っていて、このうち1人がトラックの中で死亡していたほか、運転していたと見られるもう1人の男は現場から逃走を試みた末に拘束されたということです。


この男について、ドイツの複数のメディアは、治安関係者の話として、ことし2月に難民としてドイツに入国したアフガニスタンかパキスタンの出身の男だと伝えています。


また、このトラックについて、警察は、隣国のポーランドの建設現場で盗まれた疑いがあるとしていて、地元のメディアは所有していた運送会社が運転手と連絡がとれなくなっていたと話していると伝えています。


現場は、ショッピングセンターや動物園などが集まり観光客も多く訪れる地区ですが、現地の日本大使館によりますと、今のところ日本人が巻き込まれたという情報はないということです。





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◆フランク人への復讐はイスラム教徒の宿命


キリスト教による異教徒弾圧として、もっとも有名なのは、合計8回にわたって繰り返された十字軍の遠征だろう。


この十字軍の遠征は約200年間続き、犠牲者は何百万人とは言わないまでも相当な数にのぼった。


第1回十字軍が組織されたのは1096年だが、「聖地エルサレム奪回」を掲げた彼らの“蛮行”ぶりはすさまじかった。
エルサレムを陥れるや否や、イスラム兵士はもちろんのこと、老若男女を無差別に殺害したのである。しかも、それは「神の名において」なされたのである。


フランク王国(のちのフランス)の従軍記者であるラウールは、第1回十字軍遠征の様子を、次のように記している。


「マアッラ(地中海に近い今日のシリア領)で、我らが同志たちは、大人の異教徒を鍋に入れて煮たうえで、子どもたちを串焼きにしてむさぼりくった。」・・・コロンブスやマゼランの時と同じ蛮行。


このような惨事の記憶はアラブ(イスラム)の人びとのあいだに口伝えによって広められ、ヨーロッパに対する消しがたいマイナスイメージを定着させてしまった。当時、まだ幼かったアラブの年代記者、ウサーマ・イブン・ムンキズは、後日、次のように記している。


「フランク王国に通じている者ならだれでも、彼らをけだものとみなす。ヨーロッパの人間たちは、勇気と、戦う熱意には優れているが、それ以外には何もない。動物が力と攻撃性で優れているのと同様である。」


一方、第1回十字軍遠征に従軍したフランスのある聖職者は、次のように記している。


「聖地エルサレムの大通りや広場には、アラブ人の頭や腕や足が高く積み上げられていた。まさに血の海だ。しかし当然の報いだ。長いあいだ冒涜をほしいままにしていたアラブの人間たちが汚したこの聖地を、彼らの血で染めることを許したもう“神の裁き”は正しく、賞賛すべきである。」



◆十字軍の遠征の目的は?


十字軍の遠征は、当時、勢力を拡大しつつあったセルジュク・トルコによるパレスチナの占領、および聖地エルサレム巡礼を行なうキリスト教徒への迫害に対する、解放をめざした「正義の戦い」というのが通説とされてきた。


しかし、これこそキリスト教的世界観のみに偏した、「独善的」な歴史観といわねばならない。


地中海を囲むこの地域は、神聖ローマ帝国を中心とする西ヨーロッパ、そして東ヨーロッパのビザンチン帝国、およびイスラムの三大文化圏がひしめく接点であった。


このなかで8世紀以降、窮地に立たされたのがビザンチン帝国であった。東からは新興のイスラム勢力(セルジュク・トルコ)によって脅かされ、いっぽう11世紀になると、農業生産力を基盤に、西ヨーロッパが力を蓄えて膨張してきたからである。しかも1054年以降は、「正統と異端」をめぐって東西のキリスト教教会が分裂(ビザンチン帝国にギリシア正教が成立)し、西ヨーロッパとの不和は深まっていた。


ロマ帝国.png


このような情勢のなか、ビザンチン帝国の救国を図らんと一計を案じたのが、時の皇帝アレクシオス1世であった。パレスチナにおけるセルジュク・トルコ(イスラム教徒)によるキリスト教徒迫害を、大々的に誇張してローマ教皇ウルバヌス2世に報告し、“異教徒制圧”のための援軍を要請したのである。教会の再合同=西ヨーロッパとの和解が交換条件であった。

フランス革念記念日にテロ勃発? フランス人が一番憎いテロ集団!
http://kagefumi811.blog.so-net.ne.jp/2016-07-15





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